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今日から一階の和室で寝る。自室はクーラーがないので、さすがに昨夜の暑さにこたえた。扇風機を全面自分に当てて壁にぴっとりとくっつき、わずかな涼を得るために片足を窓にひっかけながら眠った。命の危険を感じつつ、それでも他の部屋で寝ようとしない自分に、私の一番の欲求は怠惰なんだなあと思った。


ふだん和室は主に園芸と作り物系の物置になっていて、ほぼ倉庫のような趣の隅の方に私の机がひっそりとある。その机の脇に布団を敷いて寝ることにした。枕元にはちょうど石膏デッサン用のメディチ像がいて、驚くほどくっきりとした精緻な顔立ちに見とれてしまう。妙な夢を見そうだ。


早々と寝巻きに着替えて今これを書いているのだが、さっきトイレに行った時トイレットペーパーが左になくて驚いた。普段使ってる自室近くのトイレとは逆の位置なのだ。


たぶん寝巻きに着替えてなかったら、この衝撃は起きなかったと思う。

着替えたことにより、身体がリラックスモードに入ったのだ。おそらく脳の一部がOFFになり、ルーティン的な動作から自動化される。だから私はさっき、流れるように左に向かってトイレットペーパーを巻こうとしたのだ。自分の身体が夢見ている架空のトイレットペーパーの幻影を、その時確かに左の壁際に見た。



  • 執筆者の写真: NOBUSE NOBUYO
    NOBUSE NOBUYO
  • 2024年7月3日

昔おばあちゃんが、よく裏庭にお米を撒いていたと聞いた。ぱらぱらと撒いておくだけで、どこから見つけてくるのか雀がやってきて食べるのだそうだ。その様子を眺めるのが好きだったそうだ。


この前和室で作業をしていて、ふと裏庭を眺めると雀がいた。お米なんて撒いてないのになと思ったけど、野菜畑になんとなく散らしていた藁の稲穂部分をついばんでいたのだった。ぴょこぴょこ跳ねる雀を薄桃色のレースカーテン越しに眺めている。淡い光の中の向こう側を見つめながら、おばあちゃんの瞳が自分にだぶってくるような気持ちがした。


毎日なんて、誰かの見た走馬灯みたいだな。現実と呼ばれているものは、本当はこれまで生きてきたすべての人の瞳が入れ替わり立ち替わりわたしの中を通っていく幻影に過ぎないのかもしれない。そうして積み上げられた視線の中でかろうじて立つわたしは全てが鏡でできたモザイクみたいだと思う。


雀よ雀、わたしの姿はどんな風に見えるかな。あなたの中にもいつかわたしは通りますか。





またずいぶんと更新をさぼってしまった。

自分なりに日記が書けない理由を考えてみると、たぶん具体的な物事を具体的な状態で捉えることに無意識的な抵抗があるんだろうなと思う。これ前も書いてたっけかな。


その日の出来事を物語化したものを、日記として更新すればよいのだろうか。うーんそれだとハードルがまた上がる気がする。たぶんちゃんと書こうとしすぎてる。自分にとっての本当をなぞるようにして書けばいいかな。出来の悪い詩みたいに、誰にも伝わらない気がするけれど。


(言い訳はいいから書きなさいってば。)



起きてから兄のホロスコープを眺めていた。先日帰省していた際に、ちょっとやってよと頼まれたのだ。ブラウザに映し出された円を仰ぎ見る。文字通り下から、空を見るように。星は遠くにあるものだと思っていたい。たとえそれが本当はすぐ側にあるものだったとしても。星占いとのわたしの距離の遠さは、ファンタージエンに行かないことを選んだあの日から変わっていない。


庭で採れたゴーヤはわたを取って半円切りし、じゃこと強火で炒めてチャーハンにした。どこかの海からやってきた鰹節がひらひらとその上で踊る。削られたときはもうカチンコチンだっただろうと思うと少し安堵するが、「しゅっしゅっ」というカンナの音が窓の外から聞こえてくるような気がする。腕の外側がひりひりする。

それでもおいしいものはおいしい。けろりと平らげる自分はまたファンタジージエンから遠かってしまった。というのは外ヅラで、本当は近づいているのを知っている。右と左と上と下に価値観をぶらぶらさせて、魚の目をしたわたしが泳いでる。ああ苦い、苦い。空のてっぺんに白い肝のようなゴーヤのわたがひらひらと光っている。





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