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執筆者の写真NOBUSE NOBUYO

2024年7月6日 突然ホラー映画が見れるようになった

1ヶ月くらい前から、突然ホラー映画が見れるようになった。

最初に気づいたのは、「笑ゥせぇるすまん」を見ていたとき。以前見た時は数話で気が滅入ってしまい、しばらく落ち込みを引きずってしまうくらいだったのだけど、今回はむしろ癒されている自分がいた。


むかし底抜けに明るい同僚に休みの日は何してるのか、と聞いたところ「部屋を真っ暗くして、笑ゥせぇるすまんとか見てる。そうしないとなんかバランス取れないんだよね、よくわかんないんだけど」って言っていたのが妙に印象に残っていて、たぶん今の私はそれなのだと思う。

この「よくわかんないんだけど」が重要で、この部分を言語化してしまえるうちは人間に悲劇は必要ないんだろうなーと思う。昔はこの部分を全部突き詰めたくてそうしてきたけど、ここ数年はそんな気持ちもわかないくらい疲れてしまって、だめだなあと思う反面、より複雑な感情が理解できるようになった気もしている。笑いながら泣くとか、哀しみながら手放すとか、そういう部類の。


そんなわけで、よくわかんないんだけど、私はホラー映画を必要とする身体にいつの間にかなっていた。

よおしそれじゃあ。キューブリックの「シャイニング」でも見てみるか!と思いついたのが今日。ホラー・サスペンス映画の金字塔として名高いこの作品、一度は見ときたいと思いつつ、長年怖くて手が出せなかったのだ。


結論から言うと、あんまり怖くはなかった。全然自分の中に恐怖が入ってこなかったことに、かえって動揺している。

確かにパロディになっているシーンも多いから、どっちかというと笑えるよと聞いてはいたのだけど、自分はもう少し怖がるだろうと思っていたのだ。一体私はどうしちゃったんだろうか。昔はちょっとでも残酷なシーンを見るだけで血の気が引いて、数日寝込むくらいだったのに。モニターに映し出されていたのはただの映像で、昔のように全身が丸ごと引きずり込まれるような没入感を何も感じなかった。


そういえば最近、金縛りやラップ音にも遭遇しなくなってきたなと思う。怖い思いをしなくて済むならそれに越したことはないけれど、なんだか自分の大切な部分まで鈍感になってしまったような気がして、それはとても困るのだ。

複雑な感情を複雑なまま抱えることと、世界への感受性を失わないこと。この二つを両立させることが、難しいことだなんて思わなかった。豊かである一方で、硬直しつつある心の部分があるなんて。


しばらくホラー映画修行、必要なのかもしれない。




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